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40代の婚活に疲れたときに読む②40代でリストラされた男の逆転人生

40代の婚活で自信を失ったときに読む。40代でひと花さかせた男の逸話。トップ画像

40代の婚活が上手くいかないとき、断られ続けて心が疲れたとき、誰もが頭に浮かべることーーそれは「この年で大丈夫なのか?」です。そんな不安で一杯になったとき、ぜひこの記事をお読みください。40代でリストラされた冴えない男が、事業を大成功させた逆転人生を…。

ちなみに私も40代で公私共に大きな変化がありました。会社を独立し、49歳のときに初めての結婚。49歳11ヶ月で第一子が生まれました。そんな私が選りすぐった逸話です。ぜひ最後までお読みください。


その1.46歳のうだつの上がらない元保険営業員の逆転人生

ルイス・エドワード・ウォーターマン-万年筆の父と呼ばれた男の逸話。46歳のとき保険会社をリストラされたどん底からの逆転人生です。

ツキに見放された男ーービックチャンスを目の前にしながら、どん底に転落

肉体労働者、本の販売員、速記の指導員と職を転々としたウォーターマン。彼は40半ばで保険の営業員になりました。営業のセンスはなく成績は低迷。クビになるのは時間の問題でした。

しかし、ある時チャンスが訪れます。形勢逆転の大口契約を獲得できるチャンスに恵まれたのです。交渉を無事に終了。あとは相手が契約書にサインをするだけ。ウォータマンが万年筆を相手に渡したとき、悲劇が彼を襲います。何と万年筆からインクがぼたぼたこぼれ落ち、契約書が台無しになったのです。

相手は激怒し契約は破棄。ライバル会社にチャンスを奪われます。保険会社をクビになり、「またダメか…」と失意の日々を送るウォータマン。なぜか突拍子もないことを思い立ちます。「インク漏れのない万年筆を作ろう」と決心するのです。

七転八倒の苦しみの末に、女神は微笑むのか

発明はおろか、物作りの知識も経験もゼロ。しかし彼は開発に没頭します。どんな仕事も長続きせず、転職を繰り返してきた半生。しかし、年齢的に後にはひけないと考えたのか、あきらめることなく七転八倒しつつ考え抜きました。

ある日、女神が微笑みます。彼はひらめいたいのです。理科の授業で習ったことを応用すればいいと。植物の毛細管現象を応用。ついにインク漏れを防止する万年筆を完成させます。

この万年筆「レギュラー」は発売以降、飛ぶ様に売れました。そして現在でも全てには万年筆の彼の考案した技術が応用されているのです。

開発した1883年当時、彼は46歳(今の感覚でいうと50代後半?)。その年で、さして才能があるとは思えなかった人間が、絶望的な失敗を糧にとてつもない成功を手にしたのです。

その2.40歳で工場をリストラされた男の逆転人生

谷口義晴 – 日本セラミック創業者の逸話です。40歳で工場をリストラされた男は、その後いかにして世界的なメーカーを作り上げたのか。

リストラ後、起業するが資金が底をつく

1975年、第一次石油ショックで多くの企業が業績悪化。谷口氏の勤めていた鳥取県内の工場も例外ではありませんでした。人員整理の波をうけ谷口氏はリストラされてます。40歳の時でした。

そこで同じくリストラされた5人の同僚と会社を設立。工場の主力製品であったセラミックを応用したセンサーの開発に乗り出します。が、資金不足もあり開発は難航。充分な設備もなく、自動車のスクラップ工場などで廃棄品をかき集め制作機は自作します。事務所など当然なく、谷口氏の娘さんの勉強部屋を使います。

退職金を元手にした資本金はすぐ底をつき娘さんの学資貯金まで手を出す始末。給料など出せるはずもなく、家族の生活は困窮する一方。

画期的な製品の開発に成功→でも売れない→倒産の危機

そうした中、奇跡的に新しいコンセプトのセンサーの開発に成功します。他メーカーのものより性能はよく、コストも半額。売れないはずはない、誰しもがそう思い成功を確信しました。

しかし、そこからが本当の苦難の幕開けだったのです。

谷口さんを含め5人のメンバーは全て技術者。しかも鳥取という地方で、全国の各メーカーに周知させることが難しい。仮に面談できても営業のセンスがないから話が前に進まない。経営は行き詰まり、倒産が目の前に迫ってきました。

一発逆転のチャンス、決死の覚悟

その最中、テレビのリモコンに応用することを思いつきます。当時のリモコンは性能が悪くさまさまな問題を抱えていました。その解決策として優れた機能があることに気づいたのです。

テレビメーカーに提案する前夜、5人は杯を交わします。やることはやった。ダメでも思い残すことはない。そう語り合ったのです。

結果は採用。三洋電機のテレビリモコンに全面的に搭載されることが決定。この契約が契機となって会社は大躍進します。会社設立から10年後、鳥取の企業として初の上場という偉業も達成します。

地方の工場勤務の経験しかない。起業したけどお金も設備もない。40歳から「ないない尽くし」でスタートした。そんな苦境の中から、世界的なメーカーは生まれたのです。

まとめ

以上、40代で花を咲かした人のエピソードを紹介いたしました。いかがでしょうか?私はこれらの話を知ったとき、人の思いは偉大なことを成し遂げる…そう痛感しました。

私たちは歴史に名を残そうとしているのではありません。世界的な発明や発見をしようとしている訳でもありません。ただ、モテようとしているだけ。

ほんの少し勇気を出して、自分の可能性を信じてみてください。きっと、それが40代の「婚活」や「彼女作り」の大きな第一歩になることでしょう。

みなさん、ご安心ください40代の婚活、
私が証明です。

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